源頼朝のプレッシャー

おはようございます!

半年休学によりもう少しだけ4回生の大平峻世です。

一生懸命ブログを書きます!よろしくお願いします!

 

稽古開始から怒涛の一ヶ月が過ぎ先日『義経記 REMASTER』の千穐楽を迎えました。

初めに、ご来場いただきました皆様、感染リスクを考え観劇をお控えくださった皆様、座組、その他本公演の関係者の皆様全員のおかげで1ステージも欠けることなくノトススタジオでこの作品を上演できたことに心から感謝しております。ありがとうございました。

 

今回のお芝居では、義経の兄で鎌倉幕府初代将軍の源頼朝を演じさせていただきました。演じた感想は「ああ、演じるプレッシャーすごいな~」といった言葉にするとなんとも薄っぺらいものです。

稽古に入る前の段階から源義経の逃亡劇を描いた「義経記」が題材ということは決まっていたので、一通り義経周辺のリサーチを行っていましたが、そのなかで一番心惹かれた人物が源頼朝でしたので、稽古期間に配役が決まったときには人目を忍んで舞い上がったのをよく覚えています。

2年前の2019年7月に上演した『平家物語 REMASTER』の続編という立ち位置で創られた本作は、前回同様、木ノ下歌舞伎主宰の木ノ下裕一さんを監修・補綴としてお招きし、本学の准教授である西村和宏先生と阪本麻郁先生が演出・振付という形で稽古に入りました。「道行」という形式で描かれた義経の一生が本作品の特色ですので、少し源頼朝の「道行」について触れていきたいと思います。(道行とは次々と地名と特色のある風景を詠むことで人の旅を表現する形式です。)

 

尾張 平安京 伊豆の蛭ヶ小島 石橋山 真鶴岬 相模湾 安房の竜島 相模の鎌倉 駿河富士川 

 

と、源頼朝は日本各地を転々とします。(間違ってたらすみません)詳しく知りたい方は鎌倉時代に成立した歴史書吾妻鏡」をお読みください。

最後に書いた駿河富士川は、義経源頼朝の挙兵を耳にし、平泉から抜け出し会いに行った場所です。兄弟の再会の地です。

ここから源平合戦を挟み、平家が滅び、時の英雄・源九郎義経は兄に追われ、平泉まで逃げ自害に至り、「1192(年)作ろう鎌倉幕府」が誕生します。(最近では鎌倉幕府誕生は1185年らしいですが、僕は断固として1192年派です。)

 

ざっと歴史を振り返りましたが、「義経記」での源頼朝の役割は義経の殺害です。

これが難しいんですが、お芝居をする上では、源頼朝義経を殺害した理由・感情を明確にしなければなりません。ただ、この2人の間に存在する感情は複雑怪奇です。

漠然と演技プランを考えながら、「ああ、ここが俳優としての見せ場なんだろうな~」と思いましたし、きっとこの理由1つで、義経の悲劇は英雄譚に変わっていたのかもしれないと思いました。源頼朝を演じる上でのプレッシャーを感じました。

言葉にすると相変わらず薄っぺらいんですが、源頼朝が決断することで義経は自害します。つまり『義経記 REMASTER』では僕です。

僕の明確な決断で弟を殺めます。

「む、難しいなー…」と終始ぼやいていました。

結局ノトスで出した5回の結論がお客さんに届いたのか。作品の役に立てたのか。義経の役に立てたのかは分かりませんが、個人的には、悔しい気持ちが残りました。

もっと上手い俳優になりたいという気持ちでいっぱいです。悔しい。

 

長くなりましたが、SARP20回記念公演『義経記 REMASTER』が僕の在籍中最後のSARPなので、ありったけの気持ちで書いてみました。

4年間お世話になりましたが、SARPという企画に携わった皆様にはとても育てていただいたと感謝しております。座組の皆様と後輩たち、そしてご覧いただいた全てのお客様の今後のご活躍を心からお祈り申し上げます。

お読みいただきありがとうございました。

 

内子座公演もよろしくお願いします!!